大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)11496号 判決 1993年1月20日
原告
伊賀慎也
被告
長谷川こと金達智
ほか一名
主文
一 被告らは、原告に対し、各自金六二六万七二五八円及びこれに対する昭和五九年一二月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを三分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。
四 この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告らは、原告に対し、各自金一七三六万三四一四円及びこれに対する昭和五九年一二月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、交通事故で傷害を負つたとする原告から、加害車両の運転者及び所有者に対し、損害賠償を請求した事案である。
一 争いのない事実
1 事故の発生
(1) 発生日時 昭和五九年一二月五日午後一一時四〇分ころ
(2) 発生場所 大阪府守口市八雲東町二丁目一五三番地(以下「本件事故現場」という。)
(3) 加害車両 被告金達智(以下「被告金」という。)運転の軽四輪貨物自動車(大阪四〇の六九七四、以下「被告車」という。)
(4) 被害者 自動二輪車(大阪ら四一―二七、以下「原告車」という。)運転中の原告
(5) 事故態様 原告車が本件事故現場の中央環状線を大日交差点方向に進行中、被告車が後進して来たため衝突した。
2 原告の受傷、治療経過
原告は、本件事故により、頭部外傷、顔面挫創、左肩部挫傷、左大腿下腿挫傷の傷害を受け、事故当日である昭和五九年一二月五日から同月一三日まで吉川病院に入院、同日から同月二九日まで道仁病院に入院、その後同病院に昭和六〇年六月三〇日まで通院、昭和六〇年五月八日から同年六月一五日まで国立大阪病院に入院、その後同病院に同年九月六日まで通院、昭和六一年七月四日から下江クリニツクに通院した(争いのない事実、甲五の2)。
3 責任原因
本件事故は、被告金の過失により発生したものであるから、同人は民法七〇九条により、被告平田は被告車の所有者として自賠法三条により、それぞれ本件事故による原告の損害を賠償する責任がある。
4 損害の填補
被告らは、治療費として二四五万二五四二円を支払つたが、さらに、原告には労災保険の療養給付として八五万八二六六円が支給された(争いのない事実、乙九の1ないし3)。
二 争点
1 過失相殺
被告らは、被告金が被告車を運転して、本件事故現場の道路を後退し、停止した際に、原告が制限速度を時速三〇キロメートル以上超過して進行してきたため追突したものであるから、二〇パーセント程度過失相殺がされるべきであると主張する。原告は、原告車の速度を否定するとともに、被告金が進入禁止道路を後向きで逆行してきたものであるから、過失相殺をするのは相当でないと争う。
2 本件事故による原告の後遺障害の存否
原告は、本件事故により、閉塞性無精子症、両側精液瘤の後遺障害が残つたと主張するのに対し、被告らは、原告の不妊症と本件事故とは因果関係がないと争う。
3 損害額
第三争点に対する判断
一 過失相殺
1 証拠(甲一四、乙三の2、六の10、原告本人)によれば、以下の事実が認められる。
(1) 本件事故現場は、別紙図面のとおりであり、中央環状線北行の制限速度毎時五〇キロメートルのアスフアルト舗装された直線道路上である。原告は、夜間、小雨の降る中央環状線北行の第三車線を原告車を運転して北進し、被告金は、中央環状線から国道一号線へ至る一方通行の側道から後向きで逆行し、導流帯を無視して原告車の進行車線に進入してきたものであるが、互いの見通しは良好であつたこと
(2) 被告金は、後進を始めて三八・八メートル走行して、被告車後方を、原告車前方に衝突させて、はじめて原告車に気づいたこと
(3) 本件事故により、被告車には右後角が凹損、後部ガラス破損、右後方タイヤパンクの損傷が、原告車には前フオーク曲損、ベツドライト破損、前フエンダー凹損、両ミラー破損の損傷が生じたが、原告車のハンドル、ブレーキの状態は良好であつたこと、また、本件事故現場には、原告車のスリツプ痕はなかつたこと
(4) 原告は本件事故後、警察官から、スピードメーターが壊れて八〇キロメートルを示し、止まつていたと聞いたこと
以上の事実が認められる(なお、原告は、本件事故による衝撃で本件事故前後の状況についての記憶はない。)。
2 ところで、速度計が時速八〇キロメートルを表示して壊れていたというのは、警察官が事情聴取の際に原告に聞いたに止まるもので、速度計の損傷状況について他の証拠もなく、これから直ちに時速八〇キロメートルであつたと認めることはできず、また、本件事故現場にはスリツプ痕もなく、他に原告が衝突を回避する運転操作をしたと認めるに足りる痕跡もないので、被告車に気づかないまま衝突したと推認できるから、事故時の原告車の速度は、本件事故現場に至るまでの走行速度と変わらなかつたことが認められるところ、原告の後記受傷程度(意識障害による見当識障害は認められたが、骨折はない。)に照らすと時速八〇キロメートルで衝突したとすることは疑問であり、原告車及び被告車の損傷程度をもつても原告が時速三〇キロメートル以上速度を超過していたと認めることはできない。
右事実によれば、本件事故は、被告金が、一方通行道路を後向きで逆行し、導流帯を無視して進行し、さらに後方確認を怠つたことが主たる要因であることは明らかで、原告にとつて側道から後向きで逆行してくる車両まで予見して運転することは困難というべきではあるが、本件事故現場の道路状況、被告車の走行距離に照らすと、原告が前方注視を怠つていたことも否定できず、本件事故における過失割合は、被告金が九割、原告が一割とするのが相当である。
二 本件事故による原告の後遺障害の存否
1 証拠(甲一ないし四、五の1、六の1、2、八ないし一四、乙一、二、四、五の1、2、証人下江庄司、同篠崎雅史、原告本人)によれば、後遺障害に関係する原告の受傷、治療経過については、以下の事実が認められる。
(1) 本件事故後、吉川病院に入院したが、同病院では陰部挫傷と診断され、陰嚢部の腫脹、睾丸血腫が認められた。
(2) 道仁病院の治療においても左睾丸の腫脹、痛みが継続した。
(3) 道仁病院での他の受傷部位の治療継続中、陰嚢の腫脹がひかないので、吹田市民病院で受診したところ、精子の数が少ないと診断されたので、原告は昭和六〇年四月一九日から国立大阪病院に通院を開始した。
(4) 国立大阪病院では、初診時には左陰嚢が手拳大に腫脹し、黒ずんでいたこと、そこで、同年五月に陰嚢内容腫脹のため穿刺、その後陰嚢水腫として手術を施行した。同年八月ころから液貯留がみられ、この中には精子が見られたが、射精精液中には精子が認められなかつた。その後、同年九月二〇日まで通院した。当時の診断名は、左陰嚢血水腫、不妊であつた。
(5) 昭和六一年七月四日から下江クリニツクに通院し、左陰嚢の穿刺により精液瘤と診断され、精腺刺激ホルモン剤を投与するなどの造精機能低下に対する治療がなされた。同クリニツクの下江医師は、昭和六一年八月二八日症状固定と診断したが、その後も治療を継続した。
正常であれば、精液一ミリリツトル中の精子は五、六〇〇〇万個以上、奇形率一五パーセント以下、運動率六〇パーセント以上であるが、治療中の原告の精子の状況は、射精精液中の精子は〇、穿刺による精液瘤内の液の精子は多くて七〇〇万個(昭和六二年三月二四日の検査、運動率四〇パーセント)であつたので、同年一〇月ころから昭和六二年四月一五日まで四回、原告の妻安惠の子宮内に穿刺液を直接注入する方法での人工授精を試みた。しかし、いずれも妊娠には至らなかつた。
なお、昭和六二年四月一八日には左副睾丸炎が認められた。
(6) その後、下江医師に勧められ、国立大阪病院に昭和六二年七月二八日に入院し(同年八月一〇日退院)、両側睾丸の生検、精管造影をしたところ、精嚢造影では通過良好ではあるが、睾丸組織検査により造精機能の高度低下(生検前の射精精液検査では精子〇、生検では副睾丸には精子が存在、精子形成が貧弱だが存在)が認められた。
右の検査を踏まえたうえで、国立大阪病院泌尿器科医師作成の後遺障害診断書(甲一、但し、作成日付は誤記と思われる。)では、傷病名として、外傷後無精子症、自覚症状として不妊、後遺障害の内容として両側睾丸の造精機能の高度低下、精液検査にて精子を認めずとされた。
(7) 昭和六三年五月二日からは、国立大阪病院の紹介で神戸大学医学部附属病院泌尿器科に通院し、受診の結果、射精精液中に精子が認められず、また、精液瘤が認められたので、閉塞性無精子症、左精液瘤と診断され(なお、右にも小さな精液瘤を認めたが、穿刺も困難で、治療対象としたのは左だけであつたので、かかる診断名とされた。)、同年一〇月二一日から平成元年一〇月七日まで一二回にわたり人工授精(前記下江クリニツクと同じ方法)を試みたが、妻安惠は妊娠しなかつた。
(8) その後、右病院の紹介で高松市所在の恵生産婦人科病院に妻安惠が平成元年一〇月三一日から同年一一月八日まで入院して、体外授精を試みたが、妊娠しなかつた。
(9) 平成二年夏ころ、神戸大学医学部附属病院泌尿器科で精管精巣上体吻合の手術が施行された。術後わずかに精子を認めたが、すぐ閉塞した。
(10) 一方、昭和六〇年一〇月一九日に原告と婚姻した妻安惠は、婚姻前、原告と性交渉をし、昭和五九年七月七日妊娠と診断され、同月二一日人工妊娠中絶手術をした。
以上の事実が認められる。
2 国立大阪病院で治療し、その後下江クリニツクで治療した医師である証人下江庄司は、原告の治療当時の症状について、陰嚢部が鈍的なもので圧迫され、造精機能が低下し、また、精管も造影剤を注入するとその圧力で通じるが、精液瘤を生じたことから何らかの通過障害を生じているとの見解を示していること、また、神戸大学医学部附属病院で原告を治療した篠崎医師は、外傷性の閉塞性無精子症の存在を認めつつ、一方で、同医師にとり、本件事故前の原告の状態が不明であり、本件事故後三年半を経過し、陰部に外傷を認めなかつたため、原告の右症状が外傷を原因とする炎症によるものか、他の原因による炎症、あるいは先天性によるものであるかについては断定できないとの見解を示していることが認められる。
3 右事実を総合すると、原告は本件事故前、当時から交際していた妻安惠との間での性交渉で同女が妊娠したにも係わらず、本件事故後は、射精精液中に精子がない状態となり、人工授精(体内、体外)をしても成功しないこと、本件事故で陰部を強打しており、かかる外傷によつて閉塞性無精子症は発症する可能性は十分存することが認められ、これによると、他に特段の事情が認められない限り(前記のとおり副睾丸炎に昭和六二年四月に罹患してはいるが、これ以前から造精機能の低下、射精精液中に精子が存しないことが認められているから、これをもつて特段の事情と解すべきではない。)、本件事故と原告の閉塞性無精子症による不妊には相当因果関係が存することになる(確かに、医師は、外傷によらない炎症性あるいは先天性によつても原告の症状を呈することを否定はしていないが、かかる見解に基づいて、原告の後遺障害を否定するのは、因果関係の立証に自然科学的証明を要求するに等しいもので採用できない。)。
原告の現在の症状、とくに、これまでの人工授精の経過に照らせば、今後授精の可能性は乏しく、閉塞性無精子症、両側精液瘤による不妊を後遺障害と認定すべきことになる。
三 損害(各費目の括弧内は原告主張額)
1 入院雑費(六万円) 六万円
原告が、事故当日である昭和五九年一二月五日から同月一三日まで吉川病院に入院、同日から同月二九日まで道仁病院に入院、昭和六〇年五月八日から同年六月一五日まで国立大阪病院に入院したことは争いがなく、入院期間は通算すると六〇日以上であり、一日当たりの入院雑費は一〇〇〇円が相当であるから、原告請求額の六万円は相当と認められる。
2 休業損害(八〇万三四一四円) 六六万〇三七七円
争いのない事実、前掲各証拠に加え、甲七の1、2によれば、原告は、本件事故当時、二五歳の健康な男子で、株式会社マツダオート大阪で勤務し、昭和五八年分の所得(給与及び賞与)は二七三万九〇六七円であつたこと(本件事故前の三か月の所得は五七万二六五六円で平均月収一九万〇八八五円となるが、賞与の支給のない九月から一一月の三か月であるから、休業損害算定の基礎とするには昭和五八年分によるのが相当である。)、前記のとおり原告は、本件事故により、頭部外傷、顔面挫創、左肩部挫傷、左大腿下腿挫傷の傷害を受け、事故当日である昭和五九年一二月五日から同月一三日まで吉川病院に入院、同日から同月二九日まで道仁病院に入院、その後同病院に昭和六〇年六月三〇日まで通院、昭和六〇年五月八日から同年六月一五日まで国立大阪病院に入院、その後同病院に同年九月六日まで通院、昭和六一年七月四日から下江クリニツクに通院したこと、本件事故により昭和六〇年一月二二日まで欠勤し、その後も少なくとも入院中は欠勤したことが認められ、昭和五九年一二月五日から昭和六〇年一月二二日まで、同年五月八日から同年六月一五日までの欠勤はやむを得ないと認めるのが相当であるから、休業損害は、六六万〇三七七円となる。
(計算式)2,739,067÷365×(49+39)=660,377(小数点以下切捨て、以下同様)
3 入通院及び後遺症慰謝料(一五〇〇万円) 六〇〇万円
本件事故による原告の傷害の部位、程度、入通院期間、原告の後遺障害の程度(今後子供に恵まれる可能性の乏しいこと)等を総合勘案すると慰謝料としては六〇〇万円が相当である。
4 小計
右によれば、原告の損害額は六七二万〇三七七円となる。
ところで、原告は、被告らには治療費相当損害金を請求していないが、昭和六二年八月までの治療費は三三一万〇八〇八円(争いのない事実、乙九の1ないし3)であるから、これを合計すると、弁護士費用を除く総損害は一〇〇万一一八五円となる。
これから過失相殺として一割を控除すると、九〇二万八〇六六円となり、労災保険の療養給付金及び被告らの既払金合計三三一万〇八〇八円を控除すると(なお、療養給付分については治療費に充当)、五七一万七二五八円となる。
5 弁護士費用(一五〇万円) 五五万円
本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は五五万円と認めるのが相当である。
三 まとめ
以上によると、原告の本訴請求は、被告らに対し、各自金六二六万七二五八円及びこれに対する不法行為の日である昭和五九年一二月五日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
(裁判官 髙野裕)
別紙 <省略>